今朝はかおりさんのVinyasaYogaクラスを受けました。
Vinyasa は日本語さとヴィンヤサと音になり、アメリカ人は「ヴィニャーサ」と発音します。
私に合うヨガのスタイルです。
Viとはサンスクリットでいろいろな方法で、Nyasaとは置いていくと言います。
何を置いていくのかと言うと、Krama(=動き、 ヨガアサナ(ヨガのポーズ)を含めた身体の動き)を向かう方向へ置いていくのですね。
ひとつの動きをひとつの吸う息吐く息で行い、動きは道や川の流れのような集合体になります。道や川は機械的であってはならず、生命体としてオーガニックな緩やかなものでなくてはなりません。
人が誰一人として同じはないように、Vinyasaも同じクラスは無いと教えられました。
Vinyasaの緩やかな動きはクラスの時間中休息のポーズの他は連続して与えられ、自然と自分に集中するようになります。
自分のひとつひとつの足や手の置き場、太ももの付け根はどんな感触で身体の内側に向かっているか、背骨は伸びているか、インストラクションに導かれながら内観していくと時間はあっという間に過ぎて、身体の小さな変化に面白さを感じます。ダイナミックに動いているけれど小さなことに気が付いていく、たった畳1枚ちょっとのスペースで拡がる世界です。
かおりさんのクラスは、アメリカで受けたものを思い起こさせ、そのスタジオが世界中のどこでも無いような気がします。初めて三宮で体験したときからずっと感じます。しかも、過去のものよりずっと繊細でエレガント。脱力と集中そのテンションのバランスが素晴らしいと思います♪
大阪だし時間は限られているので多くて隔週1回づつは習いにいきます。
この秋、ご自宅を改装されて(厳密には自宅隣)スタジオをオープンされます♪
Yoga Madhya Kaori Kokita
Vinyasa は日本語さとヴィンヤサと音になり、アメリカ人は「ヴィニャーサ」と発音します。
私に合うヨガのスタイルです。
Viとはサンスクリットでいろいろな方法で、Nyasaとは置いていくと言います。
何を置いていくのかと言うと、Krama(=動き、 ヨガアサナ(ヨガのポーズ)を含めた身体の動き)を向かう方向へ置いていくのですね。
ひとつの動きをひとつの吸う息吐く息で行い、動きは道や川の流れのような集合体になります。道や川は機械的であってはならず、生命体としてオーガニックな緩やかなものでなくてはなりません。
人が誰一人として同じはないように、Vinyasaも同じクラスは無いと教えられました。
Vinyasaの緩やかな動きはクラスの時間中休息のポーズの他は連続して与えられ、自然と自分に集中するようになります。
自分のひとつひとつの足や手の置き場、太ももの付け根はどんな感触で身体の内側に向かっているか、背骨は伸びているか、インストラクションに導かれながら内観していくと時間はあっという間に過ぎて、身体の小さな変化に面白さを感じます。ダイナミックに動いているけれど小さなことに気が付いていく、たった畳1枚ちょっとのスペースで拡がる世界です。
かおりさんのクラスは、アメリカで受けたものを思い起こさせ、そのスタジオが世界中のどこでも無いような気がします。初めて三宮で体験したときからずっと感じます。しかも、過去のものよりずっと繊細でエレガント。脱力と集中そのテンションのバランスが素晴らしいと思います♪
大阪だし時間は限られているので多くて隔週1回づつは習いにいきます。
この秋、ご自宅を改装されて(厳密には自宅隣)スタジオをオープンされます♪
Yoga Madhya Kaori Kokita