Wednesday, June 22, 2016

瞑想について





瞑想/Meditation

ヨガでは心の集中の先にある至福の状態を言ったり、
またその状態へ至るための練習とも言います。


普段私たちの心は目で見るもの、耳で聞くもの、鼻で匂うもの、肌で触れるもの、舌で味わうものによって思考が生み出されて、その思考が心の動きを作り出していく。
心の動きを止めてひとところに留めようとするのがヨガの練習。
(習練とか修養というと堅苦しいので練習がいいかな。)

では動きを止めて何も感じなくするのが幸せなのかっていうと、そうではなくて、
心はもともと澄み渡って穏やかなものだというのが始まりです。


ダライ・ラマ14世のご本では

瞑想-心の本質を観察する方法

とあります。(ダライ・ラマ14世著 「思いやること」)

「日々心の本質を確認し、そこに意識を向けるのは、とても有益なことです。
しかし、心は散漫な思考の下に隠れているので、しっかりととらえるのは難しいのです。
では、心の基本的な性質を確認する手法をお伝えしましょう。」

それは

①過去に起こったことを思い出すことをやめる。
②将来起こるかもしれないことを考えることをやめる。
③心を思考で覆うことなく自由に漂わせましょう。自然な心の状態をしばらく観察しましょう。

ということでした。

今この一瞬に起こる心の動き、心が動く瞬間に何が起こったのか。
猛烈な速さでまるで同時に起こっているように感じられる動きは一つ一つ違っています。
動きをととらえるために集中します。
昨日出逢ったあの人のこと思った途端、同時に肌は外からの空気で寒いと感じたり、
台所から流れるスープの香をかいで嬉しくなったり、
あの人のことを思ったらまた別のことが浮かんだり。

動きが捉えられたら、「気付く」に変わって、
この頃ではマインドフルネスMindfulnessと呼ばれています。


気づきを得るためのこの瞑想は、別の本(チャディー・メン・タン Search Inside Yourself )では
心のエクササイズだとも言われています。
筋肉を強く鍛えるには、ダンベルなどの負荷が必要で、
心の動きを捉えて澄んだ心の状態に戻すことも、
動きたがる心を元の位置に戻すこと自体が負荷だから
実は筋肉を鍛えることに似ている。

現代の私たちは筋肉も鍛えなければ基本的な生活が出来なくなるほど弱くなることもあります。
心は情報やもろもろのスピード化で弱くなるというよりは、
ストレスを感じながら心が動きまくっていることに気が付かない
麻痺に近い状態もあるんじゃないかと思ったりもします。

ダライ・ラマ14世は机上の理想論を話しているのではなく実在現存されて
国と人の痛みを現実としてお話し出来る方だから、私たちは心に留めておくことが出来ます。


私たちの生きる目的は、温かい心を育むこと。
とも仰っています。


私自身どんな瞑想をされますか、と聴かれることもあります。
私は自分の心の動きに気づき、その穏やかな場所に戻っていけるように瞑想をします。
そして、その心が穏やかで温かく誰かに開いて渡せるようなイメージを持ちます。

お尻を心地よく安定して座らせて、吐く息を意識して長く。
目を閉じて温かく澄んだ水が沸き上がってくるイメージを持ってその姿勢を保ちます。
沸き上がったものがゆっくり全身を流れていく。

上の写真は昨年秋に訪れた山梨県忍野村忍野八海のある場所。
富士山のふもとの空気と水の澄んだ、私の大好きな親戚の住む場所です。