Tuesday, October 27, 2015

書き残し

ある時、「自分の価値は自分で決めるわ」と知り合いの女性が言いました。

数年前のことで、もともと憧れを抱いていた人だったし「かっこいいこと好いこと言うなぁ♪私にはまだ難しいわ。」と自分には関係はあるものの接近したこととして感じていませんでした。

今日またある人と話していて、この言葉を思い出しました。その人は私に「これでいいのか、これは間違っているのか。だめなのか。」ことあるごとに聴いてくるのが常です。その「これ」さえも自分で本当に必要や欲求を感じて触れているのではなくて、聴いていてどこか他人事・・・。その人そのものが、どこか遠くへ置き去りのままを感じます。

「自分の価値は自分で決める」

「自分の行動は自分で決める」

話していて、少し前に自分のこととして大事に思えなかったことが、今日の会話の中で自分の中に濃く存在していることに気が付きました。

自分の価値は何で測れるのか、それは多様であっていいはずだけど、経済力や学歴や外面の美しさ?、その他もろもろ世間が物音立てる価値観に振れがちで自分の価値なんて見つけることが難しかった・・・。

でもヨガの世界観や東洋の思想、そこに存在する要素は否定も肯定もされずに世界を成り立たせる要素として存在するだけ。特にヨガや仏教(大乗仏教)の慈悲、思いやり、非暴力という基本姿勢は自分がそのままで価値があるものだと感じさせてくれる・・・と気が付きました。

これを読む人は「なんのこっちゃ」と思うかもしれないし、ヨガに関わる人ですら「なんのこっちゃ」かもしれない。

またしばらくして、誰かに伝えられるようにしたいと、また思うのでした。